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オウム菊地直子被告、被害者証言への思い問われ黙り込む - にゅーすめぢから

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2026.03.22|コメント(-)トラックバック(-)

オウム菊地直子被告、被害者証言への思い問われ黙り込む

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 オウム真理教による平成7年の東京都庁郵便物爆発事件に関与したとして、殺人未遂と爆発物取締罰則違反の幇助(ほうじょ)罪に問われた教団元幹部、菊地直子被告(42)の裁判員裁判は、9日に東京地裁(杉山慎治裁判長)で論告求刑公判を迎える。5月8日の初公判で、菊地被告は事件で重傷を負った被害者に「本当に申し訳ありませんでした」と謝罪。しかし、今月3日までに行われた被告人質問では、「記憶にない」と答える場面が目立ち、自身が関わった事件を他人事のように話すやり取りもあった。

■教団でのマラソンの練習「最低40キロ、長いと60キロ歩いた」

 5月30日午前10時、弁護側による被告人質問が始まった。弁護人は、事件以前の入信の経緯から聞いていった。幼少時から「人が死んだらどうなるんだろう」と宗教に関心を持っていた菊地被告は、中学生のころから精神世界の本を読むようになり、やがて「本屋さんで教団の本を読み、高校3年の秋ぐらいから道場に通い始めた」という。

 「オウム真理教」のユニホームで国際マラソン大会に出場し、「走る爆弾娘」の異名で知られるようにもなった菊地被告。マラソンで世界記録達成を狙う教団「世界記録達成部」に所属していた際の練習内容にも質問が及んだ。

 弁護人「どんな練習をしていましたか」

 菊地被告「最初は歩く、ということで最低40キロ、長いと60キロ。雨の日もです」

 弁護人「一番辛かった練習は」

 菊地被告「40キロ、60キロの距離は変わらず、一番大変な時期は10キロの重りを背負って走った後、スクワット1千回をしました」

 教団での生活を振り返る菊地被告の口調にはためらいがなく、楽しい思い出を振り返るかのように声を弾ませて質問に答える場面も多かった。

 地下鉄、松本両サリン事件など6事件で殺人罪などに問われ、23年3月に死刑が確定した元幹部、土谷正実死刑囚(49)の指揮下で、サリンや爆薬などが作られていた教団施設での生活についても屈託のない口調で答えた。

 「実験で作った(サリンの加工段階の物質の)ジクロというものを、自分で冷蔵庫に入れていましたが、その冷蔵庫でゼリーを作っていました」

■「主張が信じてもらえなかった」と涙する場面も

 菊地被告が薬品を運んだ当時、運搬を指示した元幹部、中川智正死刑囚(51)に恋愛感情を持っていたことも明らかになった。今月2日、被告人質問の2日目。検察側の質問に対し、菊地被告は教団「世界記録達成部」のコーチでもあった中川死刑囚へ抱いていた薬品運搬の動機にも関わる思いを述べた。

 検察官「当時の中川さんへの気持ちは」

 菊地被告「尊敬していたというか、恋愛感情は持っていました。それは事実です」

 検察官「中川さんの指示に応えたいという気持ちがあったんじゃないですか」

 菊地被告「それはそうですが、土谷さんや(元幹部の)遠藤(誠一死刑囚)さんでも同じようにしたと思います」

 一方で、運んだ薬品の使用目的や17年間逃亡を続けたことについては、質問に対し、他人事のようにはぐらかす答えを重ねた。

 検察官「中川さんに指示された薬品を持っていかなければならないが、ラベルを確認しましたか」

 菊地被告「それ以外に方法はないのではないでしょうか」

 検察官「(運搬した薬品の)ラベルに毒物、劇物と書いてあったのでは」

 菊地被告「あったんじゃないでしょうか」

 検察官「劇物とはどんなものだという認識ですか」

 菊地被告「取り扱いに注意が必要です」

 検察官「薬品に毒物とか、危険物と書いてあって、何が危険だと思いましか」

 菊地被告「素手で直接触らないとか、イメージできるのはそれくらい」

 検察官「自分の手配ポスターを見たことはありますか」

 菊地被告「もちろんあります」

 検察官「出頭しないことで、社会に不安を与えていると思ったことは」

 菊地被告「その通りだと思います」

 検察官「当時はそう思わなかったんですか」

 菊地被告「んー。ていうか、自分としてはそんなことするつもりは一切ないのに、社会に不安を与えている実感がない。そんなことするつもりないのにな、と思いつつ、社会に不安を与えているのは分かっているという感じです」

 菊地被告が突然黙り込んだのは、都庁の事件の被害者で、元都知事秘書の内海正彰さん(63)に関する検察側の質問が始まったときだった。内海さんが証言で菊地被告に対し、「罪の意識を認識して逃げていた」と述べたことへの思いを問われた菊地被告は無言になり、答えることができなかった。

 菊地被告が潜伏していた相模原市内の自宅からは、元教祖、麻原彰晃死刑囚(59)=本名・松本智津夫=をたたえる教団の呪文「マントラ」が発見されていた。検察官が、「(マントラを)処分しそびれていた」とする菊地被告の主張について問いただすと、菊地被告は再び、返答できずに沈黙してしまい、杉山裁判長が休廷を指示。再開後の法廷で、菊地被告は落ち着かない様子を見せて「取り調べで自分の主張が信じてもらえなかった」と涙声で訴える場面もあった。

■麻原死刑囚への疑問、今も

 被告人質問最終日の3日の公判では、裁判員と裁判官からの質問が行われた。

 女性裁判員「中川さんから薬の運搬を頼まれたときのやりとりを教えてください」

 菊地被告「やりとりで、記憶として残っているところはほとんどありません」

 男性裁判員「なぜ隠して、偽装してまで持ってこようと思ったのですか」

 菊地被告「隠して持ってくるようにという指示があったのと、警察の人に見られたら取り上げられてしまう。持っていることが違法とは思いませんが、言いがかりをつけられて、ひょっとしたら違法逮捕があるのかな、と思いました」 

 6人の裁判員全員がそれぞれの疑問を菊地被告に直接ぶつけた。続く裁判官からの質問では、男性裁判官が菊地被告の記憶があいまいで、麻原死刑囚への信仰をいつ脱したかも明確でないことなどについて尋ねた。

 裁判官「(平成7年に)村井さん(故村井秀夫元幹部=当時(36))が刺殺され、何か思ったことは」

 菊地被告「うーん…。思ったこと…。びっくりはしたけれど、うーん、まあ、大変なことになっているなと。教団の人間ということで、命を狙われることもあるのかと、そういうことを多分思ったんじゃないかと思います」

 裁判官「信仰を脱するとか、村井さんが亡くなるとか、大きい(出来事)と思うけれど、はっきりと覚えてない? ずっと覚えていることと、覚えていないことがいろいろあるので、聞いているんだけど。信仰を脱した時期については覚えていないんですか? 言いたくないんですか?」

 菊地被告「実際に起こったことは許されるものでないので、そこで信じるものはないんです。彼(麻原死刑囚)は色んな説法をしていますが、あまり肯定することは言いたくないけれど、仏教の教えに精通している部分はあった。こういう事件を起こした彼はいったい何だったんだろう。その踏ん切りが…」

 裁判官「疑問が解消されていないということ?」

 菊地被告「疑問はいっぱいあります」

 3日間にわたる被告人質問を締めくくったのは杉山裁判長。薬品を運搬したことについて、杉山裁判長が「悪いことをしたという意識は逃走中もありましたか」と問うと、菊地被告は「はい。そうです」と認めた。

 判決は6月30日に言い渡される予定だ。



引用:オウム菊地直子被告、被害者証言への思い問われ黙り込む



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2014.06.07|コメント(-)トラックバック(-)
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