忍者ブログ

小山市立博物館で企画展「小山評定と関ケ原合戦」 緊張感伝わる書状も - にゅーすめぢから

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2026.03.23|コメント(-)トラックバック(-)

小山市立博物館で企画展「小山評定と関ケ原合戦」 緊張感伝わる書状も

PR
【無料】ここをクリックしたら、これからのあなたの人生が変わるかもしれません。

 小山市立博物館(栃木県小山市乙女)では現在、企画展「小山評定と関ケ原合戦」が開催中だ。6月29日まで。

 全国の博物館などから借り受けた貴重な資料が並ぶ。同館学芸員の尾上仁美さんが「胴の傷は関ケ原合戦で受けた矢傷といわれています」と説明するのは、旗本・稲生(いのう)家に伝わる一領の甲冑(個人蔵・埼玉県立歴史と民俗の博物館保管)。天下分け目の激戦の中で戦った誇りとして、修復せず自慢していたのか。武将の意地を見たような気がした。

 また、上杉景勝が用いたとされる甲冑は個人蔵で初公開。越後から会津に移った後に作らせた可能性があるという。関ケ原の戦い、小山評定に直接関わっていない景勝の対応が、その原因を作っており、最重要人物の一人だ。徳川家康の求めに応じず、上京しない景勝を攻めるため、家康が豊臣恩顧の大名を引き連れて会津へ向かう途中、石田三成の挙兵を聞いたのが小山。黒田長政が福島正則を説得、小山評定で正則が最初に声を上げて流れを作る。

 「家康は最初から上杉を攻める気はなかった」とみる尾上さん。「西へ引き返すことを自分の中では決めていたけれど、他の武将をどうやって説得するかが難しく、小山評定はその演出としてみると面白い。計算ずくとすれば、すごい」。ゆっくり時間をかけて会津攻めに向かい、小山評定前、既に西国大名には西へ引き返すことを手紙で伝えていた。

 当時の武将たちのあわただしいやり取りも展示された手紙などで分かる。上杉勢に備えた那須諸将の一人、大関資増(すけます)に宛てた浅野幸長(よしなが)の書状は「小山にいたため返事が遅れたが、(小山評定の結果)軍勢が次々と帰国している。会津攻めは延期された」との内容。中止ではなく延期としていることが、上杉勢南下を警戒する当時の緊張感を物語っているという。

 企画展では、関ケ原合戦図屏風や家康の遺品なども展示。JR間々田駅西口から徒歩8分。月曜と第4金曜休館。

 ■小山評定 1600(慶長5)年7月、下野国小山(現在の栃木県小山市)で開かれた軍議。豊臣政権の大老・徳川家康が諸大名を率いて上杉景勝を討伐する目的で会津に向かっていたが、石田三成挙兵の知らせが入る。小山で諸将が集まり、軍勢に西に返して三成を討つことを決め、この軍勢が関ケ原での東軍となる。



引用:小山市立博物館で企画展「小山評定と関ケ原合戦」 緊張感伝わる書状も



PR

2014.05.31|コメント(-)トラックバック(-)
Copyright © にゅーすめぢから All Rights Reserved.
当サイトのテキストや画像等すべての転載転用・商用販売を固く禁じます
忍者ブログ[PR]