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2026.03.17|コメント(-)トラックバック(-)

第一次大戦100年 崩壊した連盟、機能不全の国連…「紛争なき世界」遠い道


 「彼は友達と遊ぶとき、『“政府”を作ろう』『こんなルールを作ったらどう?』などと話していた。小さな事象に興味はなく、常に大きな“絵”を描くことに関心があった」

 米南部バージニア州ストーントンにある第28代大統領、ウィルソン(1856~1924年)の生家前。案内係のロレイン・ハロウフさんは、第一次世界大戦後に史上初の国際機構「国際連盟」の創設を提唱するウィルソンの幼少時代の逸話を語った。

 バージニア州は南北戦争(1861~65年)の主戦場だ。戦争の悲惨さを肌身で知るウィルソンの恒久平和への願いは強かった。米国の名門プリンストン大の学長も務めた“学者大統領”は、大戦終結とともに連盟創設に奔走した。

 しかし、大戦を正式に終結させ、連盟規約を承認する場となった「パリ講和会議」(1919年)での交渉は熾烈(しれつ)を極めた。

 敗戦国ドイツを忌み嫌う仏首相クレマンソーは「(私が死んだら)ドイツの方角に立ったまま埋葬してくれ」と語ったほどで、連盟創設を非現実的だとなじったという。だがウィルソンも引き下がらず、交渉は3カ月後に妥結、翌20年に国際連盟が発足した。

 ◆米国非加盟の背景

 ジュネーブに本部を置いた連盟は、当初から致命的欠陥を抱えていた。議決は全会一致が原則で、平和を脅かす国には経済制裁を科すのがやっとだった。

 米国が上院の不承認で加盟しなかったことも響いた。ウィルソン大統領図書館・公文書保管職員のエリザベス・ショート氏は「連盟創設と米加盟はウィルソンの夢だった。不承認の衝撃は大きかった」と語る。

 米コロンビア大学のスーザン・ペダーセン教授(歴史学)はその背景について、「(孤立主義に傾いた)米国が欧州の紛争に過度に関与することへの懸念や、(米欧の大衆から称賛された)民主党のウィルソンに対する共和党の焦りがあった」と解説した。

 日本や26年に加盟したドイツは33年、連盟を脱退。ソ連の加盟も34年と遅れた。屋台骨が揺らぐ連盟は調停機能を発揮できぬまま第二次世界大戦を迎え、崩壊した。

 ◆国連創設の原動力

 20世紀に2度までも人類を襲った未曽有の大戦。その悪夢の再来を阻止することこそが国際連合創設(45年秋)の原動力だった。国連憲章は連盟の失敗を踏まえ、7章42条で軍事的措置を明確に規定した。

 「決議を履行しない限り、必要な全ての措置を取る」

 国連安全保障理事会は90年、イラクのクウェート侵攻を受け、武力行使容認決議を採択。翌年には多国籍軍が空爆を行い湾岸戦争に至った。武力行使容認に国連がお墨付きを与えた象徴的な事例として知られる。

 世界各地の内戦や武力衝突でも一定の力を発揮した。日本の吉川元偉国連大使は「国民100万人以上が殺されたカンボジアは新興国になりつつあり、隔世の感がある。国連関与で成功した例は多い」と話す。

 一方で“機能不全”も目立つ。現在もロシアが隣国ウクライナの主権を侵し、シリア内戦で15万人超が命を落としても、安保理として明確な態度を世界に示せない状況が続く。

 国連のベテラン職員は、「安保理の5常任理事国は大国であり、拒否権を行使したり決議案を葬ったりする。しかし、曲がりなりにも協調の場があり、第三次世界大戦が起きていないことも事実だ」と語った。

 紛争なき世界を追い求めたウィルソンの夢の実現はなお、道半ばだ。(バージニア州ストーントン 黒沢潤)

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2014.06.29|コメント(-)トラックバック(-)
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