
2013年3月2日、経済産業省や総務省、情報セキュリティ政策会議などが後援となり、日本セキュリティ・マネジメント学会の公開討論会が開催された。演題はズバリ「遠隔操作ウイルスの誤認逮捕からみた今後の情報セキュリティ」である。筆者は座長兼司会を担当させていただいた。今回はこの事件について、講演内容や筆者自身の調査結果から私見ではあるが述べてみたい。
事件の概要は多々報道されているので簡単に触れるが、電子掲示板などを介して他人のPCが遠隔操作され、犯罪予告メッセージなどを送付させた疑いで4人が誤認逮捕されている。2012年の事だ。
事件に関する様々な見解が飛び交っている。そうした中で、片山祐輔被告が最初にメールを出したのが、ネット犯罪などで有名な落合洋司弁護士である。彼は検察官として11年勤め、その後弁護士となった。落合弁護士の講演内容から誤認逮捕の要因を簡単にまとめると、以下の2点が指摘されている。
1. 捜査体制の不備
2. 取り調べの問題
結果的に警察は「片山被告が真犯人である」という信念で裁判でもその点は揺るぎなかった。ここからは筆者の私見になるが、2カ月以上もの追跡調査から片山被告が荒川河川敷の地面に何かを埋めたという事を確認し、ビデオで撮影までしていたとの報道に警察関係者の執念を感じる。事件の真相が明らかになったこと自体は、本当に良かったと思う。
ただし一部で指摘されているように、警察官のスキルが不足していたり、内部協力や連携がうまく機能していなかったりした点など反省も多い。筆者はこれら点について、今後に改善されれいくだろうとみている。サイバー犯罪に対処するための全体的なスキルは底上げ教育で向上できるだろう。そして、分析班やサイバーの解析専門家などの高度なスキルは、大学やIT企業のセミナーや出向などによって個別具体的に強化すれば良い。縦割り型組織の捜査における課題は、今さらではないが組織横断型チームの組成といった取り組みなど、ある程度時間をかければ改善されていくと期待できる。
しかし、そういう表面的な対策ではなかなか一筋縄ではいかない事象があると思う。この事件で最も警察が行ってはいけないことをしたのが「誤認逮捕」ではないだろうか。
●虚偽自白が起きる
取調官が、「お母さんが3時のおやつにチョコレートケーキを用意した。誰かがつまみ食いをした。お母さんは、誰がつまみ食いをしたのか子どもに聞いた。子どもは、口の周りにチョコレートを付けたまま『僕じゃない』と答えた」という趣旨の例え話をしている。
この例え自体はともかく、若者が「やっていない」と本当に思っていた場合に、こういう話が「情報圧力」となり、若者に「虚偽自白」を誘因させることにならないのかと危惧される。
この手の内容を聞く度に思い出すのが、青山学院大学の高木光太郎教授のセミナーである。高木教授は2009年のセミナーにおいて、外国で行われたある実験を紹介されている。
それは被験者100人に2台の車がぶつかる映像を見せ、半数(50人)には「ぶつかった」と解説し、残りの半数には「激突した」という話をした。1週間後、被験者全員に「あなたはガラスの破片を見ましたか?」と質問すると、「2台の車がぶつかった」という話を聞いたグループでは7人が「見た」と答え、43人は「見ていない」と答えた。ところが、「激突した」と話を聞いたグループではなんと16人が「見た」と答えている。
高木教授によれば、これは「激突した」という表現がより多くの「偽記憶」を生み出したもので、「事後情報効果」と呼ばれている――ということである。
要するに、実は被疑者との面談いかんによって「記憶」の改ざんはある程度可能であるということだ。
●被疑者との面談
高木教授によると「潔白な人が自白してしまう」タイプは3つあるという。「身代わり型」「思い込み型」、そして面接環境や面接方法が主たる原因となる「悲しい嘘型」である。
今回の誤認逮捕までに至る警察関係者の様々な「不注意」や「思い込み」があったということは、想像に難くない。ただ、弁護をするつもりはないが、筆者は様々な警察関係者を仕事でもプライベートでも存じ上げている。皆が本当に実直で正義感に溢れ、頼もしい人たちである。
警察関係者がどういう専門教育が実施されているかは分からないが、筆者が言えることは「一般に考えられている以上にこの悲しい嘘型は発生しやすい」ということである。筆者自身も様々な経験からそう思っている。だから、取調官はこのリスクを十分に認識し、経験則だけでなく論理としてもきちんと学習した上で、取り調べに臨んでいただきたいと願っている。もし既に教育が現場担当者まで行われているというなら、その教育がきちんと浸透されているのか、チェックされた方が望ましいと思う。
筆者が内部犯罪者と面談する時には、これらの論理に基づいて周辺の状況証拠などを言い逃れが全くできないくらいに固めたうえで、被疑者の心の内面から揺さぶる方法で「自白した方が得」と思わるように行っている。実際、正直に話した方が結果としては最善となることが多いのも事実である。
高木教授も指摘されているが、「面接技法」は必須であり、「質の高い情報(自白を含む)」を得るには専門的な面接技法が欠かせないと痛切に感じる。
今回の事件で警察関係者のごく一部は、正義感が強く全面に出てしまい、思い込みで面談をしてしまった可能性があるのではないだろうか。企業の情報セキュリティ教育も同じだが、どんな経験者でも必ず年1回は基本に戻って真剣に教育を受け、そして、現場で実践するということが最も重要である。10年選手でも20年選手でも、しょせんは人間であり、「おごり」「上から目線」などの感情は、どうしても醸成しやすくなる。特に警察官であれば権力を持っているので、なおさらだと感じている。
一般の方々は、「やってもいない事を自白するはずがない」と思いがちだが、それは大きな誤りだ。仮に(どのような境遇だったとしても)被疑者に対して99%の警察官が「個人的にはとてもいい奴だ」と感じていても、「犯人だけどとり逃してしまう可能性」と「犯人じゃないけど誤認逮捕してしまう可能性」を天秤にかけた時、仕事ではどうしても「捕り逃しを許さない感情(正義感)」と「成績向上のためのあせり」の相乗効果によって、つい過剰な取り調べになってしまう可能性を否定することはできないだろう。
前述した通り、記憶の改ざんは「意図する・しない」にかかわらず、比較的簡単にできてしまえる。すると、人間は簡単に「虚偽自白」する状況に陥ってしまう。想像するに筆者も多分簡単に虚偽自白してしまうだろうと思う。
最近の誤認逮捕やえん罪を思うに、もう少し謙虚で論理性のある面談手法(例えば、その場で質問事項を考えるというのは非論理的である)と正義感、慎重な裏付けのある証拠などの「バランス感覚」で判断されるべきではないだろうか。
このことは情報セキュリティの世界でいう「生体認証」によく似ている。
例えば、「本人拒否率」(本人なのにシステムが他人と考えて拒否してしまう可能性)と「他人受容率」(他人なのに正当な権限者と判断してしまう可能性)は微妙なバランスの上にある。「犯人だけどとり逃してしまう可能性」と「犯人ではないけど誤認逮捕してしまう可能性」の天秤と同じだ感じる。
一つ一つの証拠を丁寧に検証し、論理に矛盾がないことを確信した上でも、この天秤を常に感じ取りながら、性悪そうな被疑者でも実直そうな被疑者でも冷静に対応する。先入観は持たず、これらの作業を積み重ねることで「状況証拠」だけでも、十分に立件できる体制が整えるのではないだろうか。
自白をあまりにも重視しているなら、強いては「えん罪」を生むきっかけになってしまうような気がしてならない。この天秤で明らかに重視すべきことは、「疑わしきは罰せず」だと思っている。
●執筆者:萩原栄幸
日本セキュリティ・マネジメント学会常任理事、「先端技術・情報犯罪とセキュリティ研究会」主査。社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会技術顧問、CFE 公認不正検査士。旧通産省の情報処理技術者試験の最難関である「特種」に最年少(当時)で合格。2008年6月まで三菱東京UFJ銀行に勤務、実験室「テクノ巣」の責任者を務める。組織内部犯罪やネット犯罪、コンプライアンス、情報セキュリティ、クラウド、スマホ、BYODなどをテーマに講演、執筆、コンサルティングと幅広く活躍中。