
【話の肖像画】国際主審・西村雄一さん(41)
人生のほとんどをサッカーとともに歩んできました。幼稚園のときに初めてボールに触れ、小中高と主にクラブチームでプレーしてきました。ポジションもゴールキーパーからフォワードまでどこでもやりましたよ。当時はJリーグもありませんでしたし、選手としてこれといって大きな目標を持っていたわけではありません。「(国内最高峰リーグだった)日本サッカーリーグでプレーしたい」と望む子供は珍しかった時代でもありましたし、「サッカーを長く楽しんでいけたらいいなぁ」という感じでした。
〈1993年にJリーグがスタートし、98年には日本代表がワールドカップ(W杯)に初出場を果たすなど日本サッカー界は急激な成長を遂げる。審判のレベル向上も求められるようになる中、99年からは1級審判員、2004年からはスペシャルレフェリー(現・プロフェッショナルレフェリー)、国際主審として活動する〉
クラブチームでプレーしていたときから審判はやっていましたが、審判中心の生活を送っていこうと考えてはいなかったと思います。専門学校を卒業して一般企業で働きながら審判を続けるうちに、日本でも審判を育てていこうという機運が高まってきました。サッカーが大好きだったというのが根底にあったのはもちろんですが、振り返ってみると私も日本サッカー界の大きな時代の流れに乗っかってきたような気がしています。
〈日本サッカー界が激変するのと時を同じくして生活は大きく変わった。09年から昨年までは5年連続でJリーグアウォーズの最優秀主審賞を獲得。10年のW杯南アフリカ大会でも主審を任されるなど世界有数の審判としての地位を確固たるものにしていく〉
いいことも悪いこともありましたね。審判をやっていて一番の喜びを感じるのは、担当した試合でプレーしていた選手たちが成長し、活躍してくれることです。サッカーの本場である欧州へ飛び立っていった長友(佑都)選手(インテル・ミラノ)や香川(真司)選手(マンチェスター・ユナイテッド)が代表的な存在になるのですが、彼らが成長していく過程に多少なりとも関与できたことを本当にうれしく思っています。彼らは未来に向けて「いったいどこまで大きくなってくれるのだろう」という楽しみも与えてくれています。
つらい思いもたくさんしてきました。試合中に間違った判定を下してしまうこともあります。挫折とまではいわなくても、うまくいかないことは日常茶飯事です。しかし、サッカーの審判に限らず、どのような仕事をしていたってうまくいかないときはあるでしょう。少なくとも私は大好きなサッカーに関わる仕事ができています。うまくいかないことがあったとしてもそれだけで十分に幸せですし、不満をいっていたらバチが当たるのではないでしょうか。(聞き手 奥山次郎)