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にゅーすめぢから

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2026.03.23|コメント(-)トラックバック(-)

中国の日経助手拘束「表現の自由へ弾圧」、米国務省が談話

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 【ワシントン=加納宏幸】米国務省のサキ報道官は30日、日本経済新聞重慶支局の中国人助手が中国の公安当局に拘束された問題に関する談話を発表し、拘束は「表現の自由に対する弾圧」であるとし、検閲やジャーナリストの拘束を行わないよう中国政府に促した。助手の拘束にも懸念を示した。

 また、中国政府が「政治的に敏感な記事を書こうとしていることを理由とした検閲やジャーナリストの拘束」を行っていると指摘。報道や表現の自由の尊重を強く求めた。

 談話は29日の記者会見での質問に答える形で出された。



引用:中国の日経助手拘束「表現の自由へ弾圧」、米国務省が談話



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2014.05.31|コメント(-)トラックバック(-)

シリアの自爆犯は米国人と確認 情報機関が渡航以来、監視

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ワシントン(CNN) 内戦下にあるシリアの反政府勢力が同国のアサド政権軍の施設に米国人が自爆攻撃を仕掛けたと主張している問題で、複数の米政府当局者は31日までに、この自爆犯はフロリダ州で育った米国人であることを認めた。

同州の学校への通学歴も判明した。家族から詳しい事情を聴いている。米国務省のサキ報道官は30日、この男性とみられる名前も明かした。

シリアの反政府勢力の自爆攻撃に米国人が加担していたことがわかったのは異例。

米政府当局者などによると、男性は数カ月前にシリアに渡航した米国人グループの一員で、米情報機関当局はこのグループの動向を監視していたという。シリアへの入国は過激派組織と合流し、アサド政権軍と戦うのが目的だった。

シリアの反政府勢力「スーカー・アル・シャム」は先に、同国北西部イドリブ県アリハ市で25日、米国人がシリア軍検問所に自爆攻撃を行ったと主張。この攻撃は、米政府がテロ組織として指定するアルカイダ系の「ヌスラ戦線」との共同作戦としていた。

米国人とする人物の画像は動画投稿サイト「ユーチューブ」や他のソーシャルメディアに流れていた。あごひげをたくわえ、ネコを抱いて笑っている姿などが伝えられた。

米情報機関や治安機関の当局者はこれまで、米国人がヌスラ戦線などの過激派に加わってシリア内戦に参加することへの懸念を示してきた。米国に帰国後、治安に脅威を及ぼしかねない危険分子になることを警戒してのことだった。



引用:シリアの自爆犯は米国人と確認 情報機関が渡航以来、監視



2014.05.31|コメント(-)トラックバック(-)

小山市立博物館で企画展「小山評定と関ケ原合戦」 緊張感伝わる書状も

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 小山市立博物館(栃木県小山市乙女)では現在、企画展「小山評定と関ケ原合戦」が開催中だ。6月29日まで。

 全国の博物館などから借り受けた貴重な資料が並ぶ。同館学芸員の尾上仁美さんが「胴の傷は関ケ原合戦で受けた矢傷といわれています」と説明するのは、旗本・稲生(いのう)家に伝わる一領の甲冑(個人蔵・埼玉県立歴史と民俗の博物館保管)。天下分け目の激戦の中で戦った誇りとして、修復せず自慢していたのか。武将の意地を見たような気がした。

 また、上杉景勝が用いたとされる甲冑は個人蔵で初公開。越後から会津に移った後に作らせた可能性があるという。関ケ原の戦い、小山評定に直接関わっていない景勝の対応が、その原因を作っており、最重要人物の一人だ。徳川家康の求めに応じず、上京しない景勝を攻めるため、家康が豊臣恩顧の大名を引き連れて会津へ向かう途中、石田三成の挙兵を聞いたのが小山。黒田長政が福島正則を説得、小山評定で正則が最初に声を上げて流れを作る。

 「家康は最初から上杉を攻める気はなかった」とみる尾上さん。「西へ引き返すことを自分の中では決めていたけれど、他の武将をどうやって説得するかが難しく、小山評定はその演出としてみると面白い。計算ずくとすれば、すごい」。ゆっくり時間をかけて会津攻めに向かい、小山評定前、既に西国大名には西へ引き返すことを手紙で伝えていた。

 当時の武将たちのあわただしいやり取りも展示された手紙などで分かる。上杉勢に備えた那須諸将の一人、大関資増(すけます)に宛てた浅野幸長(よしなが)の書状は「小山にいたため返事が遅れたが、(小山評定の結果)軍勢が次々と帰国している。会津攻めは延期された」との内容。中止ではなく延期としていることが、上杉勢南下を警戒する当時の緊張感を物語っているという。

 企画展では、関ケ原合戦図屏風や家康の遺品なども展示。JR間々田駅西口から徒歩8分。月曜と第4金曜休館。

 ■小山評定 1600(慶長5)年7月、下野国小山(現在の栃木県小山市)で開かれた軍議。豊臣政権の大老・徳川家康が諸大名を率いて上杉景勝を討伐する目的で会津に向かっていたが、石田三成挙兵の知らせが入る。小山で諸将が集まり、軍勢に西に返して三成を討つことを決め、この軍勢が関ケ原での東軍となる。



引用:小山市立博物館で企画展「小山評定と関ケ原合戦」 緊張感伝わる書状も



2014.05.31|コメント(-)トラックバック(-)
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