
--新垣さんたちを訴えるということだが、誰を訴えるつもりか、また民事・刑事どちらでか。代理人は
佐村河内さん「弁護士については内定しており、来週お会いする予定だが、個人の意見として、訴える用意はあるということは伝えてあります。新垣さんを訴えますが、他の人についてはまだ決めかねています。新垣さんは絶対に訴えますけれども」
--印税収入について
「詳しい値段は申し上げられませんが、青色申告を調べてもらえればわかるように、今年初めて黒字になったくらいで、それまでずっと赤字でした。調性音楽は自分でつくれるのですが、妻には現代音楽について教えてもらう必要があるということで、新垣氏へは『ご教示代』ということで妻をだまして支払っていました」
--裁判費用はどこから出すつもりか。印税を使うつもりなのか
「それはまだ何も考えておりません」
--ホテルを転々としていたということだが、問題発覚後、これまでどうしていたのか
「横浜を中心にホテルを転々としており、横浜を出たことはありません。横浜スタジアム前の東横インが最初で、そこから横浜を行ったり来たりしていました」
--髪型については妻に切ってもらったということだが、指示はしたのか
「お任せする、という形で」
--スキンヘッドという情報もあるが、その髪の毛は地毛なのか
「その話は初めて聞きました」
--奥さんはこれまでどのような役割を果たしてきたのか。また(奥さんは)離婚を希望されているか
「妻から、離婚ですか。妻とは18年間ではないが、11年くらい、ろう者の妻として、ふつうに生活してきて、音楽に加担したことはありません。この問題が表に出て、私は第一声で妻に『離婚してくれ』と申し出たが、妻には『しないよ』と言われました。妻は(音楽の)仕事には一切、関わっていません」
--聴力はいつごろから聞こえづらくなり、まったく聞こえなくなり、いつごろ回復したのか
「24歳のときに左の耳が聞こえづらくなり、耳鳴りがするようになって、次第に聴力が下がるとともに耳鳴りが大きくなって、やがて左の耳が使い物にならなくなって、そのころに補聴器を買っています。その後に右の耳も同じような状態になり、99年には一度、音がまったくなくなったと感じました。これは私の本に書いてあることが本当のことです。ただその後、何カ月かで補聴器があれば聞こえることに気付き…。忘れていましたが、99年2月ころだったか、完全に耳が聞こえないと思って、北里大で受診しました。その際に『これはすぐに入院が必要』と言われ、絶対安静と点滴などが必要だということだったが、その2カ月後に発表の予定があり、そのころ指示書を一生懸命書いていましたが、入院してしまうと曲が止まってしまうのでプロデューサーと相談し、入院をあきらめました。そして3年くらい前から、ガタン、といった音は聞こえるようになりました」
--耳が聞こえなくなった、また回復してきたことについて、医師から原因についてどう説明されているか
「原因は不明といわれています。本当に今は回復してきているが、昔はもっともっと悪かった。今現在もこれからも、手話通訳なしには生きていく道はないと思っています」
--新垣氏は報酬の総額を約700万円と話していたが、それで間違いないか
「覚えていないが、新垣氏からの領収書は全部、保存してあるので、後で調べることができます。700万円が正しいのか、ごめんなさい、わかりません」